今まで“なんとなく”で続けてきたスポーツ。正面から向き合って、私が出した答え|早稲田大学ア式蹴球部女子部・小林菜々子
この記事でわかること
高校でもこの部活だったし、大学でもそのまま続けよう。とりあえず大学でも何かの部活には入っておこう。
今までなんとなく続けてきた、スポーツ。
レベルによっては、社会人になるタイミングでスポーツで生きていくのか、いわゆる社会人として生きていくのかの2つの選択を迫られると思います。
そんな選択を迫られた、元なでしこリーガーの大学生が、次なる夢を追いかけるまでのストーリーです。
目次 [非表示]
夢、諦めました。
私は小さいころからの夢であった
「なでしこジャパンとしてワールドカップに出場する」ことを、大学卒業と同時に諦めることを決意しました。
7歳からサッカーを始め、名門・常盤木学園でキャプテンを務め、なでしこリーグ1部ジェフレディースでの挫折を経て、現在早稲田大学ア式蹴球部女子部でプレーしています。
“諦める”というとネガティブに聞こえるかもしれませんが、私が夢を諦めて、新たな挑戦をするまでの考えを多くの人に知ってもらい、女子サッカーのみならず多くの大学スポーツに挑戦する方々に、新たな選択肢を提供したい。
さらに進路やキャリア選択について悩んでいる人の考えに何かインパクトを残したいと思い、この記事を書いています。
私にとってサッカーとは
サッカーを軸に生きるのと、サッカーに頼って生きるのは違う
「サッカーはいつまで続けるんだろう」
という私の何気ない言葉に対して、先輩からこんな言葉をいただきました。
「サッカーを軸に生きるのと、サッカーに頼って生きるのは違うよ」
私はこの言葉にはっとしました。
私は今まで、サッカー中心の生活を送ってきましたし、サッカーが上手くなること以外に興味がない人と多く関わってきました。
しかし、私は今後もあの人たちと同等、もしくはそれ以上にサッカーだけをやりこめるのかと考えたときに、21歳の私が出した答えはNOでした。
私は常に1番を目指すことにやりがいを感じます。
これまでもサッカーを1番になるための"手段"として利用してきました。
なぜなら1番を目指すために、サッカーという手段が最適だったから。
いつしか私の中でサッカーという手段は目的達成のための選択として、最適ではなくなっていました。
それでも、今までサッカーをしてきたから、あなたならサッカーでやっていけるよと言われるから、などの理由でサッカーに"頼って"生きている自分がいることに気が付きました。
先輩の言葉をきっかけにサッカーではない人生の選択肢として"就職活動"を意識しました。
そして、今までの私のサッカー人生を振り返るとともに私の未来について考えはじめました。
就職活動
“就職活動”
この言葉を聞いてワクワクする人はいるでしょうか。
スーツで人ごみの中、企業説明会に行く。
自分を着飾って猛烈に自己PRをする。
「また祈られた~」と不採用メールに焦りを感じる。
私は、就職活動にネガティブなイメージを持っていました。
実際に先輩で就職活動をしている人も少なかったです。
私は、これまでサッカーを続けることで、様々なことから逃げてきました。
小さいころからサッカーしかやってこなかったし、受験勉強もしたことがありません。
周りからもサッカーで生きていきなよ!とよく言われていました。
そんな私が社会人として働いている自分を想像すら出来ませんし、社会に対して何も貢献出来ないと思っていました。
サッカーを続けるにつれて
「サッカーを続けてきたから将来の選択肢は少なくなったのか?」
「私がサッカーを通して学んだことは、日本代表として活躍するという貢献の形だけなのか?」
そんな疑問を持ちはじめました。
私はサッカーから学んだことはサッカー以外にもたくさんあると思っています。
小学校時代は男子の中に紛れて、女子一人でエースとして頑張った。
世代別の日本選抜にも選ばれた、学生日本一を目指して毎日奔走した。
個人の成長、そしてチームの成長を意識して練習した。
他にもたくさんの経験、学びを得ました。
ですが、多くの女子サッカー選手はそんな自分の可能性に気づかず、サッカーに"頼って"生きている人がたくさんいます。
私は、この女子サッカー界の現状を自分自身がロールモデルとなり解決していきたいです。
だからこそ、就職活動というサッカーとは違う選択肢をしました。
自己分析
就職活動に取り組む中で、最初に立ちはだかった壁は"自己分析"でした。
「自己分析は大事だから絶対にやったほうがいいよ!」
と、様々な方に言われましたが、何をすればよいのか全くわからない…というのが、就職活動を始めたての感想です。
私の場合は、CSParkCareerという体育会学生の就活サポート会社を通して徹底的に自己分析をしました。
面談を通して、改めて
「なぜサッカーを頑張ってきたのか?」
「これからどんな環境であればサッカーのように必死に打ち込めるのか」を知ることができました。
「やりたいこと」を見つけることに必死だった私が、面談を通して「どんな立場や状況、組織文化があれば夢中になって頑張れるのか?」という視点を持つようになりました。
やりたいことがなくてもいい。
ただ、次に夢中になれることはどのようなものなのかを、過去の経験から考える。
そのために、自己分析をして最適な進路選択をする。
大まかに言うと、私の自己分析はそのように進めていきました。
サッカーをする目的
15年間続けてきているサッカー。
なぜ私はサッカーをしているのだろうか。
何のためにサッカーをしているのだろうか。
多くの人がこの答えを語れないのではないでしょうか。
体育会学生は、素敵な価値のある経験をしているのに、言語化が苦手な人が多い。
私も考えや感情を言語化することが苦手です。
私はまず、自分自身を知ること、今までの自分の行動の理由や感情、考えを言語化することから始めました。
その中で大きな変化に気づけました。それは、サッカーをする"目的"の変化です。
立場 | 目的 | |
堀南SSS 7~12歳 | 男子の中に女子1人 主力 | 男子に負けないこと 1番になること |
富山LFC 12~15歳 | 主力、キャプテン 世代別の選抜メンバー | 世代別の選抜に選ばれること |
常盤木 15~18歳 | 1年:AとBの中間 2年:準レギュラー 3年:キャプテン | 1〜2年:試合に出るため 3年:チームが勝つため |
ジェフ 18~20歳 | 新人 メンバー外 | 上手くなるため |
ア女 20~22歳 | レギュラー | 学生日本一をとるため |
今までの過去を振り返ると、
世代別選抜に選ばれたり、チームメイトに日本代表の先輩がいて常にトップレベルでプレーをしてきたし、トップを目指して頑張ってきました。トップを身近に感じ、トップになるためにやるべきことが明確であった時に、モチベーションが高く頑張り続けることが出来ました。
また、幸運にも高校の時に、キャプテンを務める機会がありました。
自分の行動が自分の成長だけでなくチームの成長にもつながるのだと感じたときは高いモチベーションでプレイできました。
サッカーというスポーツを通してチームへの"貢献"を感じられてきたからこそ、頑張ってこれたのだと気づきました。
私が15年間サッカーをしてきた中で一番嬉しかったことは、なでしこリーグ初出場初得点ではなく、常盤木3年の時にチャレンジリーグ(3部リーグ)での優勝が決まった瞬間でした。
その時私は、メンバー外の選手と共に涙を流して喜んだのを覚えています。
キャプテンとしてチームを引っ張って来てよかったなと感じた瞬間でした。
このように自分の過去を振り返ることで「1番をとること」と「チームへの貢献」が私のモチベーションになっていることが分かりました。
ジェフレディース時代の挫折
また、ジェフレディースというサッカーチームでのキャリアが最も私に影響を与えてくれました。
1番を目指すことがモチベーションの1つになっている私にとって日本代表選手が所属し、なでしこリーグ1部に所属するジェフレディースでのサッカーは最高に楽しかったです。
1年目は1秒も試合に出られませんでした。
それでもモチベーション高くサッカーができたのは、上手い先輩方と練習することで自分の成長を感じられたことと、日本の1番のレベルを身に染みて感じていたからです。
弱い自分と向き合い、やるべき課題はとても多かったのですが、先輩方やスタッフに支えられ、サッカー選手として成長することが出来ました。ジェフレディースの時に関わった方たちには感謝しかありません。
ですが、挫折もありました。
それは、私がサッカーをする目的でもある「チームへの貢献」ができなかったからです。
私は入団2年目になり、少しずつ試合に出場しました。その時に感じたことは嬉しさよりも怖さでした。
試合に出るとメンバー外の時とは違い、結果が求められます。チームメイトからの目も応援から敵視に変わったような気がしました。私も常に結果を出すことに全力でした。
その時に今までにない違和感がありました。
私は自分の結果ばかり考えていて、チームのことを考えられていない、私の理想である子供たちの憧れのなでしこリーガーになれていないと感じたのです。先輩方は個人の結果も残しつつチームにも貢献し、子供たちにも人気でした。私はレベルが追いついておらず、自分のことばかりに精一杯でした。その時の私はサッカーを楽しめていませんでした。
女子サッカー界にもジェフレディースにも何も貢献できていない。
自分の実力ではどうにもできない状況に初めてぶつかりました。
移籍
ジェフレディースに入団して2年目で退団を決意し、もともと学生として通っている早稲田大学のア式蹴球部女子部(通称:ア女)に移籍しました。
あと何年か頑張れば理想のなでしこリーガーになれるのではないか。
この選択は「逃げ」なのではないのか。
いろんなことを考えて、悩んで出した答えが「移籍」でした。
応援していくださっていたサポーターや両親にも申し訳ない気持ちもありました。
しかし、ジェフレディースでの貢献度の低さや一直線で進んできたサッカー人生に立ち止まる瞬間も必要だと考え、決断しました。
ア女に入部した半年後、先輩の言葉をきっかけに自分と向き合い、大学卒業したらサッカーをやめようと決断しました。
卒業後、何をするのか。
サッカーよりも夢中になれることを就職活動の軸にしていました。
しかし、15年も続けているサッカーに勝るものをすぐには見つかりませんでした。
私は、具体的に今やりたいことがありません。
なので、私はやりたいことではなく、『なりたい姿』を想像し、その姿になれる仕事・企業を選びました。
女子サッカー界の後輩の目標となる人間
私はサッカーをやめると決めましたが、結局女子サッカー界に何も貢献していないと気づきました。
私はサッカー選手を引退しても、今後も違った形でサッカーに携わっていたい。
女子サッカー界では多くの選手が女子サッカー界の問題ついて発信し続けています。
その中で、私が女子サッカー界に貢献できることがあるとするならば、セカンドキャリア問題についてであると考えました。
私が今思い浮かべている理想の自分は『女子サッカー界の後輩たちの目標となる人間』です。
女子サッカー出身の私が、社会人として企業に就いても、サッカーをやっている時と同じように夢中になれる姿を後輩や現役選手に示したい。
そして、現役選手にスポーツの価値を自覚させ、セカンドキャリアの不安要素を減らし、大好きなサッカーを最後までやり続けて欲しい。
これをすることで今まで私が続けてきたサッカーの価値を高め、女子サッカー界のセカンドキャリア問題を解決するひとつになりたいです。
まとめ
居心地のいい環境から離れて新しいことにチャレンジすることは怖いです。
選択をしなければいけない時、した方がいいなと思う時、あると思います。
私の場合、歳を重ねるにつれて、立場が変化するにつれて、サッカーに対する考え、想い、目的は変わっていました。
この変化に気づかなければ、私はいつのまにかサッカーに頼って生き続けていたと思います。
この気づきによって、大学卒業と同時にサッカーをやめるという決断ができました。
これからは、居心地のいい女子サッカー界を離れ、価値観の異なる人たちと新しいことにチャレンジすることになります。
私は、サッカーを長年続けてきたことでサッカー界にしか適さないコミュニティやマインドを作り上げてきたわけではない。
女子サッカーには、女子サッカー出身をブランド化できるくらい、社会に大きなインパクトを与えられる力を身に付けることができると信じています。
サッカーしか続けていないことを負い目に感じず、サッカーを通して得たことをサッカー界外に発信していくべきだと思います。
そうすれば、もっともっとスポーツの価値、女子サッカーの価値があがり、社会に貢献できると信じてます。
私はそれを社会人になって、体現していきます。
自分は競技を続けていきたいのか、それ以外の道を選択した方が良いのか?
迷っている方はまずは相談してみてください。
どちらの道も視野に入れて、まずは“自己分析”を一緒にしてみましょう。
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編集
体育会就活サイト CSParkCareer編集部
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